いよいよ年の瀬である。
今月初めに、今年の漢字や流行語大賞が発表されるなど、
いよいよ年末だなーと感じさせられるできごとがあったものの、
衆議院選挙が行われたために、なんだかそれらも吹っ飛んでしまって
年末感がかなり薄れていたが、クリスマスを過ぎ、
いよいよ2012年もあと数日ということになると、
さすがに年の瀬も押し迫った気になってくる。
それはそうと。
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先日、京都に「帰った」時に、友だち何人かと出町柳界隈を歩いた。
その辺りは大学時代、友だちとお茶を飲んだり、BBQしたり、川遊びしたり、
夜遅くまで飲んでいたり、自転車で通り抜けたり、あるいはひとりぼーっと
思索に耽っていた場所である。
散策しているうち、いつしかその頃のぼくが今のぼくにオーヴァーラップした。
いまでありながらいまでなく、いまでないけれど、
しかし いまである、そんな不思議な感覚に包まれた。
まるで記憶に酔っぱらったように友人たちの最後尾から、
ふらふらと出町商店街に入っていって、ぼくは驚いた。
年の瀬の商店街のにぎわいがあったのである。
商店街の入り口の餅屋さんに人だかりが出来ていたのも鮮烈だった。
「もちはもちやで」の張り紙が寒風に靡いていた。
通路の高い所に掲げられた飾り物や看板をみて、ぼくは不意に懐かしさに襲われた。
学生時代の懐かしさもさることながら、ぼくが生まれ育った街にも、
かつてはこういうにぎわいがあったのを思い出したからである。
ぼくの家は店をやっていたが(いまでもやっている)、年末になれば、
商店街や通りには「年末大売り出し」ののぼりなどがはためき、
どこからともなく集まってきた人々が通りを行き交った。
にぎやかで、浮き立つようなその光景に、
幼いぼくはうきうきし、見ているだけで楽しかった。
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しかしいま、その街は変わりはて、昔のような光景は見られなくなった。
多くの商店はシャッターを閉ざし、お店があった所も次々と駐車場等に変わってしまった。
かつての商店街の面影すら残していない所もある。
人々は今では、市内のあちこちにある、「なんでも揃う」大型ショッピングセンターや
スーパーマーケットに吸い込まれてゆく。
休日などは1日をそこで過ごす人も少なくないという。
ショッピングセンター界隈では車の渋滞が起きるものの、
歩道を歩く人はあまり見かけなくなった。
たまに見つけても、おおよそシルバーカーを押して歩く老人か学校帰りの子供たちである。
ゴーストタウン、廃墟と言っても誇張ではあるまい。
ぼくが生まれ育った街はいまや、そんな風に変わり果ててしまったから、
出町商店街の活気には目の覚める思いがしたのであった。
街が活気づいているのは喜びであり、
人々の声が街に溢れているのは喜びである。
なにより、そうしたニンゲンノセイカツに触れられることが、喜びである。